「2016年01月」の記事一覧

小諸城主仙石家ゆかりのお宿「薬師館」 大河ドラマ「真田丸」がいよいよ明日1月10日から放送!

薬師館を始めた『仙石家』の宿敵『真田家』の波乱万丈に満ちた物語を描くNHK大河ドラマ「真田丸」

小諸の宿である「菱野温泉 薬師館」とのつながりについてご説明いたします!

【菱野温泉薬師館の始まり】
元和三年(1617)初代小諸領城主・仙谷秀久の息子、2代目小諸城主・仙石忠政公の愛娘が病に襲われ、医薬が効かなく苦悩の日々を送っていた。 ある日、
この霊泉に目が向けられ、薬師に祈願を凝らして入浴すると、不思議にも日ならずして平癒した。仙石家では大いに喜び、湯主・荻原家に対して「効験多いこの霊泉を、
世に知らせざるは惜しきことなり」と、青銅五十貫文を賜り、薬師堂ならびに湯小屋を建てるよう言い渡した。 湯主は、入湯者一人につき三文の入湯料を取り、
うち一文を湯運上として上納することが定められた。即ち、これが菱野温泉(薬師館)の営業開始の第一歩である。

【仙石家と真田家】
敵味方が次々に変わる戦国時代の中で幾度となく交わってきた仙石家と真田家。
ファーストコンタクトは織田・徳川軍による武田家攻めとなった長篠の戦いであり、織田信長軍の仙石秀久は武田勝頼軍に従属した真田信繁(幸村)の叔父真田信綱、昌輝兄弟と対決した。

センゴク甲冑隊

センゴク甲冑隊


【第二次上田合戦】
1600年徳川秀忠が総大将を務める東軍3万8千の兵を真田昌幸、真田信繁(幸村)親子の西軍として3千の兵で勝利した戦い。
この合戦により関ヶ原の合戦に徳川秀忠が遅参することとなる。
仙石秀久は東軍として上田合戦に参加、信繁(幸村)の兄真田信之も東軍として参加している。
徳川軍小諸城主の仙石家と真田軍との最も有名な戦いであり、真田家の知略が発揮された戦いでもあった。
しかし、真田信繁(幸村)の西軍が関ヶ原の戦いにおいて敗北し信繁は高野山へと幽閉されることとなる。
【大阪夏の陣】
1614年豊臣家が滅亡した戦い。小諸二代目藩主仙石忠政は徳川方として参戦。天王寺・岡山の戦いにて真田信繁(幸村)と交戦した。豊臣方は徳川軍先鋒の本多勢が壊滅することに成功し徳川軍は混乱に陥ったが圧倒的な兵力差にて徐々に戦況を変え、豊臣方の真田信繁(幸村)は大阪夏の陣にて討ち死にした。享年48歳。
この合戦から3年後、仙石忠政により薬師館の営業が始まることとなる。
尚この戦いにて2番手榊原勢の仙石忠政は11の首級を得、その功績を認められ小諸藩5万石から上田藩6万石に加増移封された。
仙石家移封の際上田藩を冶めていたのが信繁(幸村)の兄・真田信之でありました。真田家は仙石家が上田藩移封されることで真田家ゆかりの上田の地をはなれることとなるのです。

大河ドラマのタイトル「真田丸」は大阪冬の陣にて信繁(幸村)が造ったとされる曲輪のこと。